過去の戦争の記録その5
戦争経緯:太陽族という春風と連合を組んでいる大きな団(恵比寿で例えるならばマネーみたいなところ)の大が、子供会の大に施設を料金先渡しという形で売り渡した後ドロン。 以前よりハーニャンの譲り渡しを太陽の大から約束されていた吉田の大に対し子供の大が太陽にお金取られたんで太陽のものは全部おらっちゃ(富山弁です)の物だ!って、主張しだし両者村の所有権を巡り子供会が吉田に戦争を仕掛けた戦争のラウンド12
また、義勇・胡蝶蘭も吉田との村の所有を巡り、子供会に便乗して戦争に加わっている。
開戦前
吉田は、村数6程度(アクティブ80数人)、子供連合1(アクティブ70人程度)
開戦後
吉田には、義勇しか敵対が来ておらず。傭兵団の団員が集まって立てた団の方へ子供と義勇からダブルで敵対が来ていた。吉田団と敵部隊を挟撃するのも良かったが、最終的には吉田団と合同で事に当たることとなる。義勇部隊は最初に朝鮮のいくつかの村に攻めてくるが、吉田のヒューマンシールドなどによりこれを防衛、次いで四国の村に攻めてくるがここも傭兵団部隊を中心とした部隊で防衛、最後に本拠近くの吉田の村が攻められているのを防ぎそのままの勢いで吉田の部隊は義勇の本拠龍岩を目指し進軍一時は優勢だったが、義勇が土壇場で全軍決起させ吉田軍と激しいぶつかり合いをした末に、吉田軍壊滅。 その後近くの一度防衛した吉田村が破壊され、損害は吉田1 義勇0
傭兵団として
ある程度の主要メンバー、また団員が他サーバーから連れて来た傭兵団自体の心強い応援部隊や、万里の長城から決起したまま義勇の本拠まで歩いていく様な兵(つわもの)など、が傭兵団勢力として加わる。
今回は吉田の行ユニット等も複数居たので戦争としては色々と見所のあるものだったと思います。
特に、龍岩付近での攻防が熱かった!。
あと、吉田の台湾人部隊が礼拝場に集合していて様子をみてきたのですが、結構兵数も有って戦争ではあんまり目立ちませんが馬鹿に出来ない吉田の一勢力となっております。←台湾の方も真面目に、頑張っておられるので紹介です。
戦争経緯:太陽族という春風と連合を組んでいる大きな団(恵比寿で例えるならばマネーみたいなところ)の大が、子供会の大に施設を料金先渡しという形で売り渡した後ドロン。 以前よりハーニャンの譲り渡しを太陽の大から約束されていた吉田の大に対し子供の大が太陽にお金取られたんで太陽のものは全部おらっちゃ(富山弁です)の物だ!って、主張しだし両者村の所有権を巡り子供会が吉田に戦争を仕掛けた戦争のラウンド13
また、義勇・胡蝶蘭も吉田との村の所有を巡り、子供会に便乗して戦争に加わっている。
開戦前
吉田は、村数5程度(アクティブ90数人)、子供連合1(アクティブ吉田よりやや少ない程度)
開戦後
子供連合は自然の要塞である八戸にヒューマンシールドを貼り防戦の構え。真っ先に傭兵団部隊が八戸に突撃しほぼ制圧したも、吉田本隊の応援がスムーズにいかなかったので敵の防衛隊の到着と共に吉田軍は敗走。その後浦戸、慶余、丹東付近で吉田と子供がぶつかり合うもその何れも吉田軍は敗走・・・、損害は吉田2 義勇0
傭兵団として
八戸の防御を一時は17万程度まで削ったと聞いてます←私の参戦が30分ほど遅れたために八戸に私は、間に合わなかったのですが・・・。 実に惜しい・・・。
万里の長城から龍岩まで決起したまま歩いてくる兵の参戦も今回は無かったですし、傭兵団員もあと5人くらい参戦していれば・・・・。 兵数は吉田も子供連合もあまり変わりありませんが、敗走に次ぐ敗走を重ねる理由は、やはりスカウターの差ですね・・・。 傭兵団自体も吉田自体も他のサーバーから乗り込んできたグループなので兵の質で劣ってしまっています。
戦争経緯:太陽族という春風と連合を組んでいる大きな団(恵比寿で例えるならばマネーみたいなところ)の大が、子供会の大に施設を料金先渡しという形で売り渡した後ドロン。 以前よりハーニャンの譲り渡しを太陽の大から約束されていた吉田の大に対し子供の大が太陽にお金取られたんで太陽のものは全部おらっちゃ(富山弁です)の物だ!って、主張しだし両者村の所有権を巡り子供会が吉田に戦争を仕掛けた戦争のラウンド13
また、義勇・胡蝶蘭も吉田との村の所有を巡り、子供会に便乗して戦争に加わっている。
開戦前
吉田は、村数4程度(アクティブ100人)、子供連合2(アクティブ吉田よりやや少ない程度)
開戦後
「敵は浦戸に来る!」そう確信した私は傭兵団部隊を浦戸防衛に全員送る、その後浦戸付近で傭兵団と義勇の攻城部隊のにらみ合いが10分ほど続く中も義勇の部隊は数を増して来たのでサナーダ総司令率の指示で吉田本隊も浦戸防衛につく。 先に決起して突撃してきたのは義勇の高スカウター行ユニットを中心とする騎馬部隊であった。
先ずは傭兵団が中心となり決起して下がりつつ応戦、後ろで待機している吉田本隊まで敵を誘導して囲んで潰す!
これなんて最強の布陣!(戦術では吉田側は決して劣ってません)ってことで作戦は成功して、義勇部隊を鳴門付近まで追いやったが、義勇部隊の増援と義勇の高スカウターの行ユニットの壁が厚く優勢だった吉田軍は次第に押しやられ敗走。その後、浦戸が壊滅 また敗走の吉田部隊が再集結し龍岩付近に突撃したが再集結から突撃までの時間が長すぎた・・・。(浦戸落ちた後に突撃していては、浦戸の攻城部隊が全部こちらに来るのは目に見えている・・・)結果は変わらず・・。
損害は吉田2 義勇0
傭兵団として
浦戸でのぶつかり合いを制するか否かがこの戦争の結末に関っていました。もしも、吉田部隊が浦戸で義勇のメイン攻城部隊を押し切っていれば、そのままどっと義勇の村になだれ込んで押し切ることが出来たでしょう。 浦戸での戦術はこちらが有利だったがやはり・・・質の差が・・・。 こちらの貴重な行ユニットの一人が突然操作不能になり浦戸で戦死したり、また万里の長城を住処にしている応援部隊?の参戦も無かったのが痛い所か。